以前、本ブログにおいても触れましたが、2月に
「高熱隧道」を読み始めたのをきっかけとして、
吉村昭氏の本を読み進めています。
氏は相当な速筆家であった様で、その著書を探し始めるとキリがないので、自分の興味分野と重なる、歴史ドキュメントものを中心に読み進めているのですが、緻密な取材に基づき、細部の著述に至るまで拘りぬく、その史実準拠の作品姿勢には、大変感銘を覚えます。
****そんな氏の随筆集
「わたしの流儀」は、如何にも氏のそれらしく、無骨で情感にこそ欠くものの、生真面目な人柄が伝わって来る作品。日常風景や人との交歓、食や旅行途上での発見等、様々な切り口から描かれた短文の一つ一つに目を通していたのですが、その中に終戦間際の
山手線につき描かれた
、「定刻の始発電車」という一帖があり、鉄道ファンとしては非常に感慨を覚えるものがあったので、以下にその文章の一部を抜粋させて頂こうと思います。
終戦の四カ月前の夜、私の住んでいた東京の日暮里町は、アメリカ爆撃機がばらまいた焼夷弾で炎に包まれた。
私は、日暮里駅の跨線橋を渡って町の人たちとともに谷中墓地に避難した。 爆撃機が去り、私は墓地からはなれて跨線橋の上に立った。町は、轟音とともに逆巻く炎に包まれ、夜明け近い空に大小の火の粉が喚声をあげるように舞いあがっていた。
その時、端の下方に物音がし、私は見下した。 ホームに山手線の電車が入ってきて停車した。むろんホームに人の姿などなく、電車は、ドアの閉る音をさせ、軽い警笛を鳴らしてホームを離れていった。 その情景が、今でも眼に焼きついている。
時刻から考えて、それは始発の電車だったのだろう。 空襲で沿線の町々が焼けているというのに、恐らく乗客が一人も乗っていないであろう電車が、定刻通りに走っている。運転士は、上司の指示にしたがって定時に電車を車庫から出し、駅にとまることを繰返しながら進ませている。 私は、運転する男の姿を想像し感動した。
少年雑誌に、日本の鉄道は、たとえ長距離列車でも発着時刻が一分とちがわず、それは世界に例のないことだ、と記されていた。 鉄道を守る人の鉄道魂だ、とも書かれていて、跨線橋の下を静かに動いていく電車にその言葉を思い起した。
いかなる事態になっても、電車の運行をつかさどる人は始発電車を出すことをきめ、運転士も、それを当然のこととして運転台に入り、電車を進ませていたのだろう。 |
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****戦争と鉄道と言えば、自分は
宮脇俊三氏が
「時刻表 昭和史」において、
玉音放送後に乗車した米坂線の車窓風景についての記述、
| 山々と木々の優しさはどうだろう。重なり合い繁り合って、懸命に走る列車を包んでいる。日本の国土があり、山があり、樹は繁り、川は流れ、そして父と私が乗った汽車は、まちがいなく走っていた。 |
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というくだりを読み返す度、胸が熱くなるのを覚えるのですが、上記の吉村氏の著述にも、戦争という非日常の頽勢の中、日常通りの定められたダイヤで走り、著者を勇気付けるという、鉄道機関に対する位置づけにおいて、共通するものがあり、通常の輸送機関とは異なる”何か”を背負ったその眩しい姿が、我々の心を打つのでしょう。
それにしても、日本の鉄道ダイヤの正確にまつわる伝統は、相当に長いものがあるのだろう、と薄々と感じてはいましたが、よもや吉村氏の少年時代、即ち戦前より続いているものとは思いませんでした。日本の鉄道というのは、自分の想像より遙かに、懐が深いものなのだな、と改めて感じ入った次第です。
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